広告収入 サイドビジネス 「TSUYOSHI'S RADIO LOVE-DHA!」2/9・#06 | sakurabi☆ブログ

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ENDLICHERI☆ENDLICHERI・KinKi Kids・嵐のつれづれニッキ。
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「TSUYOSHI'S RADIO LOVE-DHA!」2/9・#06
嬉しいお知らせもありましたv
そしてちゃんと伝わって理解出来てるなとも感じました。

毎度のことながら箇条書きで申し訳ないです。
だからホントいつも載せようかどうか迷う。…すごく迷う。

雰囲気だけでも感じていただけたら。
詳しいレポは探して読んでいただけると嬉しいです(滝汗)

どうかご理解いただけた上でお進みください。


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ここ最近「改名された・されない」とニュースが飛び交ってますが、そんなに大きくする話でもなかったのにという感じ。自分自身も「え?」と思ったくらい。
大きなことじゃなかったんだけど、大きくなってしまう世の中ですね。
今、ちょっとした事をめっちゃでかくするでしょ?それに対して不安になる人や悲しむ人もいるから、もうちょっとこう、ね。「どうなんですか?」って聞いてくれたらよかったのに。何も聞くことをされていませんので。
ホームページを覗かれて、言葉を綴っていただいたという感じなんですけれど、まぁこんなに大きく取り上げていただいて、「ありがとうございます」っていう感じですけれど(笑)

ENDLICHERI☆ENDLICHERIという世界の中で、堂本剛という人が、様々な事にチャレンジしつつ、いろんな壁にもぶち当たりながら、やっていけたらという願いをこめて、ちょっとした遊びのクリエーションです。
“改名”といわれれば“改名”かもしれませんが、「つよし」と「ENDLICHERI」の言葉をもじって「244ENDLI-x」にして、今もしゃべってますけれど。
ライブでもラジオでも「剛くんさ〜」って言ってくれる人もほとんどですから。
ファンのコは「ケリー」って呼んでくれる人もいますけど、初めてライブに来る方が、「つよし〜」って呼びやすいっていうのも、考慮した感じなんですけれども。

ちょっとね。いろいろあるんですよ。意味が。
でも言うと、愚痴や悪口みたいに聴こえるから言いませんけれど。うん。
いろんなことがですね。のしかかっているなかで様々なクリエーションを楽しんでいこうと。
そういういろんな事が起こる場所であるなぁと思っていますからね。
ただ、そこに嘘はないですし、変な気持ちは全くないです。
それだけはファンの人たちにも言っておきたいなと思います。

どうしても語れば語ったで何か言われるし、語らなければ語らないで何か言われる…。もうそういう立場なんですよ。
だとするならば、語らない方が親切かな?とも思ってるんです。
だから「僕から出る言葉」を信じて欲しいなっていう風に思います。

僕自身がしゃべっていない中で、さまざまな言葉が広がってしまって「そうなんだ」という風に思われてしまうと、ちょっと悲しいですけれども。
なので、ラジオという場であったり、いろんな場所で、正面きっていろんな話が出来たらいいなと思っています。
そこで「剛くんがこう言ったから、こうなんだ」という風に過ごしていただければ、胸のわだかまりや傷やいろんなものもなく過ごせるんじゃないかと。
本人が言った言葉、投げた想い。…想いというのは目に見えないので難解ではありますが、そういうものを直接受け止めた上での「白」か「黒」っていうね。
どこにいっても、何をやってても「僕は僕」ですからね。
その場所場所の僕を信じてくれたらいいなと、それだけでございます。

曲の後にご報告あります。その前にこちらを聴いていただきましょう。

 ♪「Blue Berry -NARA Fun9 Style-」 : ENDLICHERI☆ENDLICHERI

単刀直入に言いますが、待ちに待ったライブが決定いたしましたっ!
日程等は後日詳しくお伝えしますけれど、ライブの報告をしてもいいというOKが出ましたので、一日でも早く皆さんにお伝えしたいと思い、お伝えしています。
「愛」というテーマもあるんですけれども、いろんなバリエーションでライブパフォーマンスを考えていて、1パターンではないという感覚でやっていこうかなという風に思っています。

あと、「ひとりひとり」、「自分自身」。僕が言うと生意気に聴こえるかもしれませんが、「We」って言葉がありますけれど、「Me」な感じ、「Me」っていう感覚っていう…。
僕はやはり「Me」よりかは「I」、私。そういうことを経て「We」にもう一度なるべきなんじゃないかなと思うんですよね。
「Me」より「I」の方が強いとか弱いとかということを言ってるんではなくて、日本人で言えば「Love」、「愛」。で、英語で言えば「I」、「私」。本当にきちんとみつめた上で「We」になって。

やっぱりどうしても「あの人がいいと言ったから大丈夫」では、ちょっといけないと思います。
自分が出来る限り調べてみるとか勉強してみるといった上で、「あぁ。やっぱりいいんだな」っていうふうに思っていくことが重要。
世の中いろんな問題が起こってますけれど、なんかもうちょっと考えた方がいいかなと。
考える時間を持たずして決断していくことほど危険なことはない。
自分だけだったらいいかもしれないですけど、家族だったり子供だったり守る命や場所がある人は特にね。ゆっくり考えて、そして決断していくっていうことが大切じゃないかな。

今一度、この時代に生きている人々は「I」を持つべきじゃないかな。
大人たちが「I」(愛)を持った「We」を形成していければ、子供たちは今以上に夢を見ていくことが出来るんできて「I」を持つことが出来るんじゃないかな。
今どうしても若いコたちは「I」を持つ前に「We」を提出させられる。そして、その中で「I」を探す作業っていう...順番になっちゃているような気がします。
「とりあえずこうだから」と言われてしまう。「これに従ってください」って。
「きみはなぜ?(そう思うの?)」とかっていう(聞いてくれる)大人…かけ橋がないような気がしますね。
「僕はこう思います」「僕はこうだと思うんです」って言わせていただけないような時代というか。
僕のまわりの若い世代の人たちも、ホントよく言ってますけれど「目標がみつけにくい」と。
僕もね、やっかみも言われながら毎日やってます。そこで「仕方がない」とか「そうなってしまった」とうつむくのではなくて、待っていて下さっている人だったり、話を聴こうとしてくださる人に対して、純粋に生きていくのみなんですけれども。うん。

僕もいろんな事がある中で、「We」よりは「I」、というものを主張したいがための「ENDLICHERI」というプロジェクトを立ち上げたのでね。
僕が「I」というもの、「私」というものを放てば放つほど、たくさんの人が「自分にも“I”があった」とか「“I”を忘れていたのかもしれない」という気持ちになっていただけると嬉しいなと。そして、それが様々な場所に伝染してゆく感じがいいなと思ったから「ENDLICHERI」というものを立ち上げようと思ったんです。
そして、そのうちにみんなが「I」を持つことによって「We」を形成出来た時に、素晴らしい国・地域になるでしょうし、今以上に、自分の周りの愛する環境、もっともっと愛せるものへと育っていくと思うんです。
現時点がダメだと言ってるんじゃなくて、もっと上を目指して行く事で、たくさんの人を救えるんじゃないかという風に思ったんですよね。
自分が守りたいと思うものだけを守ったり大切にするという事は、もう時代的に古いような気がします。今一度、手を取り合っていろんな事を実現していかなきゃいけない時代に入っているんじゃないかなと思います。
だからこうやって、言わせていただける場所だったり、何かを表現させていただける場所を持っている者が臆病になってはいけないんじゃないかなと。
今、アーティストさんも「これを言っちゃいけないかな?」「書いちゃいけないかな?」というふうになりがちな気がします。でもそれを言い始めると“言葉を消す時代”に向かっているだけだと思う。
例えば誰かが「これいいですよね〜」って言ったときに、「いや、良くないけどなぁ…」と思ったとしても「いいですよね!ホントに」って言ってしまう。…真実はどこにもないですよね。フェイクの時代を作って行くだけ。で、その二人目がね、「これいいと思いませんか?」って言った時、その人も同じでね、ホントは悪いと思っているのに「いいですね!素晴らしいですね!さすがですね!」って言い始めたら、「なにがしたいねん!!」って話ですよね。なんも残んないでしょ?
発した1人がいいと思っているだけの「We」は「なんなんでしょ?」って話ですよね。
それよりかは話し合って、提案者に耳を傾ける。
僕も、「僕はこう思うねんけど、どうかな?」って、いろんなスタッフと話をさせてもらってる。
その上で(事情やルールをふまえつつ)いろんな事をやっていくわけです。
ただ僕は、ファンの方々の前に立つ時に、今自分が一番ベストな状況を目指して、“戦う”という表現になってしまう事は多いですけれど、懸命に生きているっていうのが今の僕だったりします。

とにかく今回のライブは、そういった感覚のものをテーマにしてライブをやっていこうと思います。「“フェイク”ではなく“リアル”を求めよう」っという。
「あなた自身の“I”をほじくりだせっ!」という感じですね。
いろんなことをやっていこうとホント思っていますので、皆さん遊びに来ていただけたらなぁと思います。

 ♪「I'll Be Back」 : Wes Montgomery(ウエス・モンゴメリー)

ライブの話とか、今僕が思っている想いを生意気にも述べさせていただいた次第でございますけれど、ホントに“考える”という事が出来なくなってしまっている。その影響なのか、様々なものがつぶれたり、なくなってしまったりしていますね。
人の想いも…目に見えるもの以外の感覚というものすらもなくなっているような気がします。
たとえば学校の教師さんが愛を持って「なにしてんの、おまえ」って怒鳴っただけでも、「なに言ってんの、おまえ」みたいなことをいってくる人がいる。そうするとね「道徳や倫理」というものはどこにいってしまうんだと。

(例えで、花壇の花を折ってしまって、それはやはり命であり、よいとはされない光景。それを先生が「なんでやった?」「折りたかったから」と。「でもな。花はな、こうでな、ああでな」と話をした時に、親が「家は家でちゃんとやってますから、余計な教育をしないでください」となってしまった。そういう時に)
子が、自分がやってしまったこと、「いけないことをやったんだ」という認識をしようとした時に、ヘルプが飛んできてしまう。「大丈夫よ」と。
「あぁ、そうなんや」と。「お母さん、お父さんが言うから大丈夫なのか」になってしまいますよね、これでは。
あの〜、なんていうのかな?本当に難しい問題だと思います。
目に見えない愛というものは、投げ方を間違えると、トゲになる時もありますからね。
ニュースとかドキュメンタリーを観たりして、学校の話だけではないですけれども、いろんなことがやっぱりあるなと。悲鳴をあげていらっしゃる方がたくさんいるんだなと、思うわけです。
だからいろんなところで、そういうものを正そうとしている作品も多く出てきていますよね。
昔、地球環境保護みたいないものを「なに偽善者ぶってんねん」という人たちもいましたけれど、今やどうですか?ということですね。「環境を考えましょう」という動きが大きくなってきましたね。みんな「そうだ」と思い始めたんでしょうね。うん。

「日本で作ったものを食べたい。その方が安心する」という声が増えている。
日本で作っている食料は39パーセント。
やっぱりその数字をもっと増やしていくという意識は素敵だなぁと。
海外にもいいものはいっぱいあるけれど、日本にもいいものがあるということです。
そこに気付けばいいんだということだと思うんです。
自分の住んでいる土地。場所・地域にもいいものはたくさんあるんだ。
今以上に意識してみんなが手を取りあえば、それは世界に飛ぶはずなんですよね。

やっぱり自分たちがいいと思っている、誇りに思っているものはね、たくさんの人にお伝えしたいじゃないですか。でも、そこからさまざまなものが出てきてしまって、トラブルになったりしがちではありますけれども...うまく僕もねぇ、無知なんで言えないところではあるんですけれど、なんかしたいなぁと思いますよね。

「これを言っちゃいけない」「これをしちゃいけない」というジャッチメントが難しくなってきている。昔はもっとシンプルだった気がします。
(昔は冗談交じりに「結婚したい」とかいえたけれど、今は「守っていくこと」「守ってもらうこと」「こういう時間が過ごせる」「寂しい想いはさせない」とか、いろんなことをホントに考えてお付き合いをし、結婚をし、そして子供を産んだ時に「学校は今どういう状況なんだ?」「政治はどういうのも」とかいろんなことを考えて生活していかなければいけないという気持ち)
なんかやっぱりいろんなことを考えさせられる機会は増えました。そこで考えて損をすることはないような気もします。
僕は今の時代に生きて、クリエーションするのに相当大変な時代に「ENDLICHERI」というプロジェクト・世界を届けたいと言った人間で。
人間、愛を持つべき。それがいいことだと信じながら、自分自身も信じながら生きています。
だからENDLICHERI☆ENDLICHERIっていう世界の名前を、解りやすいものにすることだって出来たんです。でも、そういう時代ではなかったと。「コレなんて読むの?」「なんなん?これ」「何の意味?」ぐらいでちょうどよい。
そこに「考えて欲しい」というメッセージも入っている。「調べて欲しい」とか。
僕のさまざまな面が、たくさんの羽根を手に入れていろんな所に飛んでいけばいいなぁ、可能性が広がればいいなぁという思い出クリエーションし始めましたけれども、「僕がこう言ってるからこう」ってことはしなくても大丈夫。「僕がこういってるけど、私はこう」でいいんです。
さまざまな自分を手に入れるということも、挑戦したい人はすればいいし、シンプルでいいんですでもいいと思う。
とにかくいろんな場所に立ってみていろんな自分を体感してみて、最終的に自分を探していくっていう…。
自分の可能性をどんどん広めていって、場所は変われど、自分という「I」を持っていればそれでいいんだと思うんです。

だから造語とかね?「244ENDLI-x」もそうですけれど、名前を変えたり遊んだりしながら、その年、その時の自分がフィットするものを服を着るような感じでね。毎日おんなじ服を着てもしんどいから、「明日コレ着よう」「明後日コレ着よう」っていう感覚な感じで、人の感覚、想いというものもなんかちょっとこう遊んでいってもいいんじゃないかな?

(造語遊び。「生きている」⇒「涙滴」)
感動したり、辛い想いをしたりっていのもあるけれど、泣くというのは生きているからこそ泣けるわけで、凄く素敵なことだと思う。

(前回出た「トマト」⇒「トマト」)
「トマトはトマトだ」と。僕もそういわれて「あ、そうだな」と。それはもう、申し訳ない。
「トマトはトマトだ」と言われたとき、ちょっと衝撃でしたね(笑)
でもそんな「トマト」も、ちょっと料理して変えてみると好きになるかもしれない。
いろんな想いを込めて、ちょっとダジャレみたいになっていますけれど、こちらを聴いていただきましょう。

 ♪「Tomato Kiss」 : Bill Evans(ビル・エヴァンス)

「改名」みたいなことでね、世の中に出てしまいましたけれども「なんて呼べばいいですか?」っていうハガキがいっぱい来ちゃったんです。
ま、そうなるだろうな、と。あれだけ大きくなってしまったら。
僕はもう、ホームページがすべてだったんで、ホームページを読んでいただいて、みんなが楽しんでくれたらいいなぁっていう。
さっきも言ったけれど「つよし」って呼びたい人もいるからね。「244ENDLI-x」にしておけば、「つよし」とも呼べるし、ENDLICHERIという世界もなくしたわけじゃないとという、意思表示ですね。
僕の周りのミュージシャンも「ケリー」と呼んでくれる人と「剛くん」と呼んでくれる人がいるわけです。
「どういう風に呼べばいいですか?」と聴かれましたので、あの好きなように呼んでくれていいです。振り向きますから。
もともと「ケリー」も後付けできたもんですからね。
なんかね。やっぱ難しいですね。こういう世界って。ちょっと言うとパ〜っと広がってしまって、それがすべてになってしまって、心の遊びがなかなか出来ないっていう…。
「ケリー」って、オールドENDLICHERIファンみたいな感覚で呼んでる感じもいいんじゃないですか。是非みなさんも楽しんでいただきたいと思います。

(ファンからのお便り紹介。「Sankakuくんのデコメ」「アートブック」。「どのアイテムを決めたからコーディネイトしていく?」←靴>パンツ>帽子>アウターと下から決まる)
今日(2/9)は「服の日」なんですって。全然知らなかった。
でも、こういうたまたまな感じ、いいよね。わかる?ENDLICHERI☆ENDLICHERIって、結構たまたまな感じが多いんですよ。
偶然が重なってここに来ているって面白いですよね。
以前に5/9を「ファンクの日」にしようかなんて話をしたんですけれどね。
お洒落はね、足元からですよ。その日いく建物の色とか、会う人を色にたとえるか、自分の中でのカラー戦略ですよね。
そんなことを楽しみながら一日生きていくと楽しいです。皆さんぜひいろいろ遊んで欲しいと思います。

(「クローバー」(シロツメクサ)には愛が詰められていると。「CLOVER」⇒「LOVE」)
(「今度アルバム出すときにイングリッシュソングを入れてください」 ビックリするくらいしゃべれませんからね。でも発音はいいと現地のコーディネーターさんから言われる)

今日真面目な話をしましたけれど、僕の独り言だと思って聴いていただければいいなと、ホントに思っています。
僕が今、この空間でしゃべっていることを聴いてもらって、そこからなんか考えてもらうっていうタタキ台にしてもらえたらいいなぁという想いでしゃべってます。
訴えでもなければ強制でもない。「こんなことを考えてはんねんなぁ」と思っていただけたらいいと思う。

僕は今なんかちょっとわからないけれど、「ソメイヨシノ」をかけたい気分なんで時期が早いですけれど聴いてください。

 ♪「ソメイヨシノ」 : ENDLICHERI☆ENDLICHERI

いろんなことを考えながら生きていかなきゃいけないんだという風に今ホント思っていて、その思いの丈をマイクに向かって投げたような感じではございますけれども、皆さんの心の中に力となれる想いや言葉はあったでしょうか?
あの、なんにでも使ってやってください。こんな僕のものでよければね。

(お便りの宛先案内)
びっくりするくらいの数来てて全然紹介できないけれど、僕ちゃんと読んでます。ありがとうございます。

待つと言うことも、すごく忍耐力が必要でいい事だと思うんですけれど、何かにこう、立ち向かっていくということや、自らが足を運ぶということや、そういう行動も必要じゃないかなという風に最近考えています。
明確なものはないけれども、進まなきゃいけないなとか、歩いていかなきゃいけないなという想いが、去年よりもすごくしているような気がします。
みなさまも目の前にさまざまなことがあると思いますけれど、「I」、「私」を持って素敵に、今以上の自分の成長というかね。そういうものを目指して生きてほしいなと思っております。

 ♪「Chance Comes Knocking.」 : ENDLICHERI☆ENDLICHERI

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架け橋をしてくれる大人は少ないって思う。
だから私から尋ねます。とくにお仕事のことは。
(例えばお仕事は頼まれるけど、「いつまでに」とか「今どこまでやった?」っては聞かれない)

自分の意見を言えない若者っていうのも多いと思う。
…でも意見を持っているだけ凄いって思う。
だって意見すら持っていない人もたくさんいるなって感じるから…。
そういう世の中なのかなって考えると、凄く悲しくもなるけれど...事実だよね。

そこをね。聞ける大人、導きだせる大人がいないんだよなって思う。
古い考えだけれど「背中をみせられる大人」が少ないんだと思う。
だからこそ自分の意見を持とうって思って、しっかりと言うべきなんだとも思う。

…両方の立場がわかるんだよね。
ある程度社会に出て、一通りいろんなことを知って、
多分今私は真ん中にいるんだよなって。

私がひとつ思うのは「甘えんな」ってこと。
あ、これ私自身に対してね(苦笑)

ちゃんと自分の意見を持って、人の言葉も聴いて
よりよい方向へ...出来れば相乗効果が出るくらいの未来へ向かう為に。

やっぱり必要なのは「愛」
いろんな意味で「愛」
「愛すること」も「愛されること」も。

少なくとも…。
将来、自分の子供が誇ってくれる親になりたいなって。思いました。

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